Newspaper Essay Series (新聞エッセイ)

2012 Newspaper Essays 新聞掲載エッセイ December 31, 2012

第50回 2012年4月10日 春風いっぱいの、ロスアンジェルス 4月も半ばを過ぎ、ここロスアンジェルスはすっかり春。朝晩は冷え込むものの、日中は暖かな日差しが嬉しい毎日です。又、窓を開けると、鳥のさえずりが日がな聞こえ、中々楽しいものです。さて、長期に渡って連載させて頂いたこのエッセイも、今回50回目を持ち、一区切りつけることとなりました。音楽がご縁で、小野会長とお知り合いになり、紋別にお邪魔させて頂き2度演奏する機会を頂きました。それをきっかけに、ロスアンジェルスから身の回りの事など、お手紙形式で、皆様にお伝えしてまいりました。毎回違った観点からお話しさせて頂ければと、いろいろな事を書いてきたつもりです。最後の回は、やっぱり音楽の事で締めくくらせて、頂きたいと思います。 今までにも、室内楽(二重奏、三重奏、四重奏など、少人数のグループで一緒に演奏すること)の楽しみについて触れてきましたね。そして、息の合った演奏が出来たコンサートでは、音楽をする喜びを再びのように実感出来るという事も、折に触れてお知らせして来ました。4月前半に、4つの(語呂合わせみたい!)違ったグループでの演奏会がありました。最初は、クラリネット、チェロ、ピアノの三重奏。これは、ブラームスの後期の作品で、とてもしんみりと、美しい旋律に溢れている作品です。そして楽器間の気持ちの通わせ方が、演奏する上での大きなポイント。ロスアンジェルスの名所にもなっている、ディズ二―・コンサート・ホールでの演奏会で、仲の良い仲間ととても良い音楽が作れました。次は、トランペット、歌、ピアノのコンサート。これは、トランペットとピアノの二重奏、歌とピアノの二重奏、そしてその中間に、トランペット、歌、ピアノの三重奏が入った、楽しい趣向の演奏会。教会でのコンサートで、その響きが大きな空間を埋めつくし、気持ちの良いものでした。夕方から夜にかけて、教会内の光の加減が変化していくのも、雰囲気があったと思います。三つ目は、フルートとピアノの二重奏。これは、ロスアンジェルスの北部にある大学内のホールで演奏しました。現代曲、バロック、有名なカルメンの主題による変奏曲、そしてラテン系の曲も入ったバライティに富んだプログラム。日本での音大時代から、フルート奏者の方々とは頻繁にご一緒させて頂いているので、フルートの方と演奏する度に、何だか古巣に戻ったような気がするのは、不思議ですね。そして、最後がトロンボーンとピアノの二重奏。2曲はピアノの伴奏なしの作品で、その間私はしばしの休憩!このトロンボーン奏者とは、ここ10年くらい共演しているので、家族ぐるみの友人で、毎回一緒に演奏させて頂けるのを、楽しみにしています。この最後の演奏会があったのが、昨日の日曜日。今日月曜日の朝には、次の演奏会にむけて、新しいリハーサルが始まりました。 週に3日大学でピアノを教え、週末家でプライベートの生徒を数人教え、機会を頂ければ演奏をするという毎日です。音楽家としていくつまでこうした生活が出来るのか分かりませんが、出来るだけ長く、音楽家暮らしを続けられれば、と願っています。人それぞれ好きな事も、向いた事も違いますが、私は現在良い生徒達に恵まれ、演奏の機会も頂いていることを、本当に幸せなことだと感謝しています。過去には、どんぞこ暮らしも、苦労だらけの時もありましたが、そこで踏ん張れたから、今があるのでは、と多少(!)自負もしています(最後まですみません)。 長い間、お付き合い下さいまして、本当にありがとうございます。機会があれば、是非紋別を再び訪れてみたいですね。そして雄大なオホーツクの海を感じてみたいです。もし私の今後にご興味があれば、ホームページを覗いてみて下さいますか(www.junkopiano.com)。皆様どうぞお元気で、益々のご活躍を願っています。 第49回 2012年3月20日 震災から一年 3月も後半に入り、紋別の気候はいかがでしょうか。こちらは、暖かくなったり、雪や霰が降ったりと、落ち着かない天気が続いています。しかし、我が家の庭にあるオレンジとグレープフルーツの木には、沢山花が咲き、とても良い香り。特に夜露の中で、その香りは抜群です。新芽を見つけたり、早咲きの花を見ては、新しい季節の到来を、感じています。 震災一年の節目で様々な行事がロスアンジェルスでも行われました。私も、被災地の事を忘れないで!皆で応援しよう!と、声を大きく、支援の輪を続けていきたいと願っています。「支援」とは直接つながりませんが、今月初旬に、国際交流基金からの後援で、日本の音楽のコンサートをここロスアンジェルスで開催致致しました。今回は、日本の文化の特徴とも言える、他国の文化を輸入して、吸収、消化して、自分のものとして、新たに海外に輸出するというコンセプトで、プログラムを組んでみました。このプログラムは今までに演奏してきた、日本音楽コンサートを一歩前進させたものです。戦国時代に、日本人が見た初めての西洋人(嵐で流れ着いたポルトガル人船乗り)から始まり、その後にスペインから来たキリスト教の伝道師達、それと一緒に入って来た教会音楽が私達にとって始めての西洋音楽であった事。しかし、最初の西洋文化の芽も、その後のキリスト教禁止、鎖国政策で、日本の国から追い出されてしまいます。そして、約250年の時を経て、明治維新とともに、急激な西洋化が進みました。音楽もこの西洋化の大きな一つで、外国人音楽教師を招き、1880年に日本で始めての音楽学校が設立しました。そこから巣立っていったのが、滝廉太郎であり、山田耕作なのです。この第一、第二世代の日本の作曲家達は、日本政府の奨学金で、ドイツへ留学。こうして、日本の音楽教育はドイツロマン派音楽、一辺倒で始まりました。又、ドイツ音楽とは全く関係ないのですが、当時の作曲家が好んだのが、日本独自のヨナ抜き音階で、この音階から日本独特のメランコリーが生まれました。その代表が、「荒城の月」ですね。しかし、1930年くらいから、次第にフランスの印象派の影響を受けるようになり、そのころの作曲家達は、印象派の音と日本の音を旨く融合させた音楽を書くようになります。そして、第二次世界大戦後は、日本の音楽教育も進み、日本人演奏家達が、だんだんと国際舞台で活躍するようになり、大きなコンクールにも入るようになりました。そして、様々な音楽のスタイルが生まれ、日本の作曲の世界も多様になったのです。武満徹は、その中でもとてもユニークな存在。ほぼ独学で作曲を学び、その時代の他の作曲家のほとんどが海外で学んだのに反し、日本国内に留まり自分の音楽のスタイルを築き上げました。その彼が、海外の大きな音楽団体から委託され、多くの素晴らしい作品を残しました。そして、国内、海外を問わずに、世界の音楽をリードする坂本龍一、ゲーム音楽で活躍する植松伸夫など。日本の音楽は、いろいろなメデイアと融合しながら、地球規模で発信していくようになりました。 時代を追いながら、その時代の音楽を演奏しつつ、お話もしながら、コンサートを進めました。アンコールに、植松伸夫の美しい曲を弾き、震災で犠牲になられた方々に捧げました。お客様の中には、涙ぐんでいらした方もいらっしゃいました。コンサートは、好評を頂くことが出来、日本の音楽に留まらず、日本全般に渡って知って頂く事が出来たように感じています。日本の事を好きな外国の方は多いですよ!そうした方がどんどん増えるように、又日本の事に興味を持って頂けるように、こういったコンサートは生涯続けていきたいと、思っています。 今回はこの辺で、お別れです。4月に又お便り致しますので、皆様どうかお元気で、お過ごし下さいませ。 第48回 2012年2月15日 フロリダでのコンサート 早いもので、2012年も2月半ばに。皆様いかがお過ごしですか。いまごろ、紋別は極寒でしょうか。こちらロスアンジェルスは、寒い日はあるものの、しっかり春の息吹きが感じられるように、なりました。写真は、近所のスイセンで、今満開。とても良い香りです。 私は先日フロリダ州のタンパ市に、コンサートで行って来ました。以前からお話しているように、アメリカは広い!ので、西海岸のロスアンジェルスから、東南に位置するフロリダまで行くのは、とても時間がかかります。そして、3時間の時差があるので(フロリダがロスアンジェルスの3時間先をいっています)、まさに一日がかりです。今回は長旅に備え、2冊本を持っていきましたが、飛行機の中でお気に入りの音楽を聴きながら本を読んでいると、時間もあっという間に過ぎていくようでした。フロリダは、寒い地域に住む人達が、退職した後に、温暖な気候を求めて、移り住むところでも、有名です。もちろん、海が近いから、それを求めて移住する人達もいますがーー。私が行った1月の終わりでも、少し蒸し暑く、コンサートホールは、冷房を使っているほど。全く驚きですね。コンサートのプログラムは、今シーズン演奏しているバッハのゴルトベルグ変奏曲でした。この曲の持つ特別な意味合いについては、以前お話ししましたが、フロリダでも、聞いて下さったお客様から、その崇高で、奥行きの深い音楽について、お声が聞かれました。演奏する私自身も、普段の演奏会とは全く違った空間に包まれます。もちろん準備が大変ですが、やはり満足感も大きく、やりがいがあります。こうした演奏旅行に行くと、新しい方々との出会いがあり、昼食、夕食をご一緒したり、車の運転をして頂いて車中でお話ししたりと、楽しい時間が嬉しいものです。帰り際に、ホテルで朝食を取っていて、バタバタしてしまい、着ていたセーターを席に忘れ、後から送って頂いたのも、この新しい出会いのお陰でした。 このフロリダでのコンサートと時を同じくして、新しい春の学期が始まり、大学の方も一機に忙しくなりました。教える楽しさは、それぞれ全く違う生徒達に、それぞれに合ったやり方を見つけることでしょうか。それが出来ると、生徒の才能や能力の違いに関わらず、力を伸ばして上げることが出来るような気がします。私の経験を伝えることは大事だけれども、押し付けは禁物ですね。これが出来る限り、私は教える事を、生徒達を、愛することができると信じています。 この春から夏にかけては、主にロスアンジェルスでのコンサートが主体で、様々なプログラムに取り組んでいます。その辺のことは、次回のお便りでお知らせすることに致しましょう。それでは、皆様どうぞお元気で。又、このお便りを通じて、お会いしましょう。  

2011 Newspaper Essays December 31, 2011

第47回 2011年12月6日 被災地でのコンサート 紋別はもう雪が積もり、すっかり冬模様でしょうか。こちらロスアンジェルスは、北海道に比べれば、柔冬(!)ですが、夜はそれでも4-5度くらいまで下がるようになりました。先週末は、とてもすごい風が吹き荒れ、電線は千切れ、木はバタバタと倒れ、沢山の被害が出ました。今でも、まだ電気が戻って来ていないお宅が、結構あります。私の教えている大学も、近くの電線が切れて火事になり、一日電気が使えず、お休みになりました。それでも、学期末、ピアノのレッスンをお休みする訳にいかず、私はキャンドルを持参して、教えました!思わず、ムード満点のレッスンとなりました。 さて、今回の本題に入ります。11月中旬に、3月の津波で大変な被害をこうむられた大槌町の被災地にお伺いして、アメリカの友人達からの応援メッセージと義援金を届け、ピアノの演奏をさせて頂きました。これは、ロータリークラブからのピアノ寄贈の記念式と平行して行われ、沢山のロータリアンの皆様のお力で実現したものでした。場所はこの秋大槌町に建った仮設校舎。小・中・高の学生達が元気に、勉強していました。家を失った子供達も、親を失くした子供達も、健気に明るく過ごしている姿に、胸打たれる思いでした。 ロスアンジェルスから、成田空港に飛び(11時間ちょっと)、その足で成田エクスプレス(一時間くらい)から、東北新幹線に乗り、北上市まで(3時間強)。日本とロスアンジェルスは17時間の時差があり、日本に帰国する時は一日越えて翌日に着くので、北上に到着した時は、本当に長旅を実感しました。でも新幹線の中で頂いた駅弁とお茶は日本を実感させてくれて、とても美味しく、ほっとさせてくれました。その晩は北上のホテルで、一泊。翌朝は朝靄の漂う美しい景色の中で朝食を頂き、いざ大槌町を目指して出発。地元のロータリークラブの方々と小野会長とご一緒させて頂き、道中震災から今日までの現地の歩みをお聞きしました。現地のロータリアンの方々は、震災の起きたその日から、何度も何度も現地に足を運び、困っていらっしゃる多くの方への援助を続けていらっしゃいます。秋の気配の濃くなる日本の景色を見て、とても平和で、震災のあった事など忘れそうでしたが、現地に近づくにつれ、更地に半壊した家屋がぽつんぽつんと建つのを見て、改めてその恐ろしさを実感致しました。震災前にはそこに町があり、何代にも亘って沢山の家族が住み、子供が遊び、人の笑い声が聞こえていたのでしょうが、今では何もなく、歩いている人もいませんでした。これからどうやって町造りをしていくのか。以前の町並みを再現するのか、それとも全く新しい町を形成するのか。仮設住宅での生活は期限があり、その短い期間の中で、町民がどうやって同意出来る案を見出せるのか。未来像がはっきりしない毎日―――。 仮設校舎到着後は、リハーサルと演奏の合間に中学の校長先生、教頭先生とお話しをさせて頂きました。難題をかかえていらっしゃるのに、とても明るくてユーモアいっぱいのお話が、楽しかったです。そして、元気で礼儀正しい子供達。ピアノの贈呈の後、アメリカの友人達が作成した、とても明るい色のメッセージ入りのキルトと、大学からのメッセージを差し上げました。そして贈呈されたピアノでの演奏へ。クラシックの曲や日本の坂本龍一さん、植松伸夫さんの曲などを取り混ぜ、亡くなられた方々の事を想い、毎日懸命に生活していらっしゃる皆様を応援する気持ちで、演奏させて頂きました。最後に皆で「故郷」を合唱。その後生徒達がお返しに、とても息の合った合唱を、生徒の指揮と伴奏で演奏してくれて、思わず涙してしまいました。これからも、アメリカと現地の橋渡しとして、微力ながら、何か出来ればと、切に願っています。その晩は、10年ぶりの温泉を、花巻で堪能させて頂きました。今回の会がお蔭様でテレビ、新聞で取り挙げて頂いたので、お宿の皆様も応援して下さったのは、嬉しい思い出です。 翌日東京に戻り、女子中学時代の仲良しグループとランチを頂きおしゃべりをして、夜は偶然の中にも偶然が重なった7年ぶりの音楽高校の同窓会へ出席(私はアメリカに来て22年。その間誰とも会うチャンスはありませんでした)。その後、現在教えている大学を昨年卒業して日本に戻った子と会い、近況を話しました。残念ながら実家の両親は留守で、会うことは出来ませんでしたが、2年ぶりの日本で、本当に短い3泊5日の旅は、充実していました。沢山の素晴らしい人達と過ごせ、被災地にアメリカからのメッセージを音楽と一緒にお届けすることができました。翌日午後に成田出発、同日の朝にロスアンジェルス帰宅。最初に一日失った分、帰りは出発時間の7時間前に到着するのです。被災地の皆様、アメリカからも沢山の人が応援していますよ! 今年もいろいろな話題をお話しさせて頂きましたが、これで最後です。又、来年一月にお手紙しましょう。どうぞ素晴らしい年の瀬と新年をお過ごし下さいませ。 第46回      2011年9月26日 秋の気配が感じられる今日この頃ですね。忙しさにかまけて、すっかりご無沙汰してしまいました。ロスアンジェルスの今年の夏は、とても過ごしやすく、冷房の使用もほとんどなくすみました。私は自然の風が大好きなので、多少のほこりには目をつぶって(!)、夏の間は窓を開けて過ごしています。日本では、クーラーの風に当たると良くない、とか、扇風機でも、寝るときは切るようにするとか、クーラーの中にいる時にはひざ掛けを使う、など、「冷え」対策を重点していますね。これはとても面白いことなのですが、日本人の女性によく見られる冷え症が、こちらには存在しないのです!温度の感じ方が違うのだと思いますが、かなりの寒さでも、女性などタンクトップ(袖なしのTシャツ)で平気で歩いています。又、冬でも靴下など履かず、サンダルで足丸出し状態をよく見かけます。という訳で、暑がり屋さんの多いアメリカでは、外出先でよく超低温に設定されたクーラーに出会うので、日本以上に上着が必要になります。だから、まさしく家にいる時くらいは、自然の状態でいたいなあ、となるのです。 数年前にアメリカのアラスカ州にある、フェアバンクス市で、「日本祭り」が開かれ、そこで小野会長に初めてお目にかかりました。そこでは日本文化に関わる様々なイベントが‘開かれており、私は日本の音楽を演奏、そして日本文化についてお話させて頂きました。それがきっかけで、紋別にお邪魔して演奏させて頂く機会を得たり、こうしてお手紙を差し上げたりと、繋がりが出来たことは、本当に幸せな事です。11月には、小野会長がお力を注いでいらっしゃるロータリークラブの繋がりで、今回の震災で大被害を受けた大槌町に伺い、チャリティー・コンサートを行う運びとなりました。復興が遅々として進まない中で、住民の方々の大変な暮らしを聞き、多少でも何か出来ればという、願いからです。アメリカ人の友人達にこの機会について話したところ、多くの人から「自分達も何お役に立ちたい」という声を得て、メッセージ入りのとても素敵なキルトを作成しているところです。応援メッセージを散り交えた、気持ちが明るくなるようなデザインです。今から持っていくのが、楽しみです。又、義援金も育英資金の一部にして頂くために、持参する予定です。音楽の持つ力、音楽の吸引力で、沢山の方とお会い出来ているのは、大変幸せなことですね。 秋のコンサート・シーズンが始まりました。先日もお知らせした、バロック音楽の大家、ヨハン・セバスチァン・バッハの素晴らしい曲「ゴルトベルク変奏曲」の演奏が、今年から来年に向けての大きな柱です。先週末、この曲での第一回の演奏会が無事終わり、幸いにも沢山のお客様に聞いて頂くことが出来ました。お客様のお声でも、この曲の持つすごい力が実感。演奏家としてはこの曲を演奏するのは大変な道のりですが、その大きさ故に、満足感も大きく、改めてこの機会を得て、ゴルトベルク変奏曲を演奏出来る喜びを感じています。その他のコンサートも多々あるので、ピアノの練習に多くの時間を注いでいる今日この頃。秋も音楽と共に、どんどん過ぎていきそうです。それでは、次の機会まで、皆様お元気でお過ごし下さい。 第45回 2011年6月28日 私の音楽変遷 7月に入り、夏本番もいよいよですね。紋別の暮らしはいかがでしょうか。大震災から3ヶ月以上が経ち、復興へ向けての歩みが、ロスアンジェルス在住の私にも少しずつ届いて来ています。日本の皆様の忍耐強さと努力に、強く心を打たれる毎日です。お聞きになっているかもしれませんが、今回震災に逢われた地域で英語教師をなさっていたアメリカ人二人が、教えていた子供達や地元の方々を救うために命を落とされました。この方達の素晴らしい行動で、沢山の方々が助かったのです。それに感謝するため、この夏、日本語を習得中のアメリカ人学生20数名を、日本に招待することになっています。私の教えていた生徒一人もこの春大学を卒業し、大学院に進む前の一年間日本で英語を教えるために、つい先日、日本に出発しました。埼玉の小・中学校で教えるとの事です。彼は、結構日本語も上手いんですよ! 今回は、私の音楽遍歴についてお話ししたいなあ、と思っています。日本の音楽大学卒業後、アメリカに来て、大学院と博士号を取得。博士論文には日本のピアノ音楽の歴史を選び、3年間かけて約300ページの論文を書き上げました。当時は、どこの日本の音楽図書館もコンピューター化されておらず(テクノロジーの先端国として、皆に驚かれたものですがーー)、とても苦労しました。まず日本に行かなければ資料も調べられず、昔式にパタパタと箱の中に入っている紙で本の在り処を突き止める、気の遠くなるような作業でした。しかしこの研究の成果で、日本の西洋音楽の歴史に詳しくなり、国際交流基金、日本大使館・日本領事館等のご協力で、素晴らしい日本の音楽を世界各地で演奏・講演する機会に恵まれて来ました。紋別の第一回の演奏会でも、この日本の音楽を演奏させて頂きましたね。この日本の音楽に平行して、アメリカ音楽にも興味を持つようになり、逆に日本にアメリカの音楽を紹介するようになりました。アメリカ連邦政府のご招待で、日本の各地で楽しい音楽を主人と演奏・講演しています。博士号取得の年に、アメリカのピアノ音楽のCDを、そしてそれから数年経って、日本のピアノ音楽のCDを、リリースしました。二度目に紋別で演奏させて頂いた時には、アメリカ音楽の象徴とも言うべき、ガーシュインのラプソディー・イン・ブルーを選び、皆様に楽しんで頂けたのは、本当に嬉しい思い出です。 もちろんこの間にも、日米の音楽にとどまらず、様々な音楽をソロ・室内楽、協奏曲と演奏する機会に恵まれて来たことは、本当に幸いな事です。そして日本の音楽の紹介で中南米に度々行くようになり、それまで余り触れる事のなかった彼らの音楽に影響を受け、何とか意思の疎通を図りたい切なる気持ちから、スペイン語も始めました。その中で、ピアノで詩を奏でるという気持ちが強くなり、世界の各地から私の気持ちを伝えてくれる曲を集めた「ピアノのための歌」と名付けたCDを、数年前にリリースしました。この中には、前回の二つのCDには入れなかった、日米の美しい曲も入っています。親しい友人達に、私の想いを伝えるような気持ちで、録音しました。そして昨年と今年はピアニストにとって、記念すべき重要な年。2010年はショパンとシューマンの生誕200年、今年はピアノの大王(!)リストの生誕200年です。彼らの曲を中心にしたプログラムの演奏会も、ソロ・室内楽で行っています。こうして歩んで来た私のピアノ人生、昨年演奏したバッハのピアノ協奏曲に端を発し、今年はバッハの壮大なゴールドベルグ変奏曲に挑戦中です。以前も書きましたが、この曲は、ピアニストにとって、とても特別な存在。練習していても、余りの崇高さに、涙してしまう事もあります。そして、自分と向き合う時間の中で、沢山の発見もあります。今年の終わりには、自分がどう変化しているのか、楽しみでもあります! 震災からの復興には、長い年月がかかりますが、日本の皆様のこと、とても誇りに思っています。そして、一人ではない事、忘れないで下さいね。それでは、どうか素晴らしい夏をお過ごし下さい。又、近況をお便りします。 第44回 2011年5月13日 春の風に誘われて こちらロスアンジェルスは、毎日とても気持ちの良い天気が続いています。我が家の庭のバラも、満開でとても良い香りを運んでくれます。そして鳥の餌場を作っているので、家にいれば、日がな鳥の歌声が聞こえて、気持ちを上に持ち上げてくれるようーー。まさに、春爛漫です。紋別の5月はいかがでしょうか。 震災から早2ヶ月。私の企画したチャリティーコンサートも、皆様のお力を持って成功に終わり、きちんとした額の寄付金を送る事が出来、嬉しく思っています。まだまだ、避難所生活を送る方も多く、又、住み慣れたふるさとを去って、将来に何とか希望を繋ぐ多くの家族の皆様。先の見えない暮らしが続いていらっしゃる事を思うと、居ても立ってもいられない気持ちになりますね。今後も支援活動を、そして世界に向かって、「日本の惨状を忘れないで欲しい」という活動を、続けていきたいと願っています。アメリカでも、数週間前に竜巻と洪水の大きな災害があり、又中東・アフリカの不安定な情勢、テロイストの報復攻撃への警戒など、世界の様々な場所で、毎日のように起こる予期せぬ、もしくは、為るようになってしまう様々な事例。人類が歩んで来た進歩に次ぐ進歩の日々を、あざ笑うかのようにさえ、見えます。 さて、閑話休題。こちらの大学のシステムについては、既にお話ししてありますが、5月中旬から、8月後半まで、長い夏休み。学期中は、本当に勉強を一生懸命しなければならないので、夏休みは息抜きと、そして、大学では経験出来ない事、もしくは、大学の専攻の勉強を深める研究、仕事など、学生達は、いろいろと計画を立てます。私のピアノのクラスは、今年4年生が多く、7人の生徒が、将来の夢を携えて巣立っていきました。「新卒」でなければ、という観念がアメリカにはほとんどないので、すぐに、一生勤める会社に就職する、という生徒はほとんどいません。一年間、海外に英語を教えに行って、経験を深め、大学院に入る、とか、取り敢えず俳優の道を目指してアルバイトをしながら頑張る、とか、科学学者になる希望を持っている生徒は、大学院と博士課程の前に、一年間自由に、世界を飛び回って詩を書いたり、文化生活を送りたいとか、様々です。生徒達の傾向というのは、もちろん行っている大学の性格にもよります。私の教えている大学は、リベラル・アーツ大学と行って、ほとんどの勉強が直接「生活をする」事に結びつかない場合が多く、大学の4年間では、幅広い勉強と経験を積み、その後大学院で、もっと将来の道に沿って、方向性を固めるという生徒が多い様です。3歳で始めたピアノを今も人生の中心に置き、高校、大学、大学院、博士課程と、すべてピアノを専攻した私は、こういった学生達の正反対にいる訳ですね!職人芸の楽器奏者は、やはり、「一芸に秀でる」というスタンスで物事に取り組まないと物にならず、良く言われるように、「才能とは、努力を継続出来る事」というのが、真理ですね。私も自分自身に匙を投げずに、死ぬまで、もしくは、指と頭が動く間、満足が出来る演奏を目指して、日々、音楽と向き合っていければ、と願っています。そして、そういう環境に置かれている事に心より感謝しながら。 今回の震災で直接被害を受けなかった方々でも、仕事がこなくなり会社倒産・自粛を余儀なくされたり、日本中で辛い思いをされている方々が大勢いらっしゃる事と思います。一日でも早く、日本の国民が明るく、将来に向けて目標を語れる、そして不安のない毎日が来る事を、心より願っています。それでは、又次回のお便りまで、どうぞ皆様お元気で。 第43回 2011年3月23日 日本大震災 この度の、大地震、大津波での被害、心よりお見舞い申し上げます。もちろん、アメリカでも連日報道され、多くの友人達から、日本の事情、家族の状況などに気を使って頂いています。私の家族は全員東京におり、お蔭様で変わりない生活を送っています。紋別の皆様はいかがでいらっしゃいますか。報道は、甚大な被害にあったところに焦点が当たっているため、もしかして紋別の状況がつかめていないかも知れません。皆様のご無事を願っています。 アメリカ在住で、近くでお手伝いが出来ませんので、日本に送る義援金集めに奔走しています。教会を通しての義援金集めは、地震当時から続けていますが、本日は、折り鶴を教えて千羽鶴を作り、そこで義援金集めを予定しています。又、4月2日と16日には、支援コンサートを開き、そこでも義援金を集める予定です。被災された方々の状況を見ると、本当に心が痛みます。本日のロスアンジェルス・タイムス(新聞)では、小学校にいた児童100人くらいが、避難出来ずに亡くなり、その子供達を探して、倒壊した学校を訪ねる両親の姿が、大きく記事になっていました。大地震のため先生の多くが亡くなり、残った先生達が生徒を校庭に誘導し、そこで津波に呑み込まれたという、悲しみの行き場がない状況です。 すべてが想定外の出来事で、毎年行われていた地震、津波への避難準備も役に立たず、その準備不足が次第に原発にも起こり、大被害をもたらしています。アメリカでも、放射線被害への関心は大きく、日本の報道とは違った側面から、今回の原発事故を見ています。私はジャパンTVを入れているので、いろいろなニュースに対して、日米の違った報道が見られるので、大変興味深いです。日本は、カリフォルニア州(アメリカ全土から見ると、カリフォルニアなど、ほんの一部に過ぎない)の約2分の1で、家屋などがとても集中していますので、日本政府が出している原発に関する避難区域の話をこちらですると、皆びっくりします。30キロ範囲での避難など、こちらでは、すぐ側という感覚で、福島と東京の距離にしても、1時間半くらいのドライブで行ける範囲ですから、近隣都市という感じです。東京の水道水などにも、放射線が検地されている報道ですので、今後被害が広がらない事を願っています。 こうした暗いニュースの多い中、震災地での復興の話は、明るく、未来に繋がるものですね。特に大津波に会われた太平洋側の町々は、どうやって又元に戻るんだろうかと思ったものですが、連日不休不眠で働いていらっしゃる方々の姿や、町民の方々の「何とか復興させてみせる」という力強い言葉、暗闇に一点の明かりが灯ったようです。海外にも沢山の人間が、日本の現状を助けようと一生懸命です。そして日本の将来に対して、深く祈っています。桜の便りも聞かれる頃ですが、日本の象徴でもある桜が、傷ついた沢山の日本人の心を癒してくれますように。私も微力ではありますが、日本の復興のために力を尽くしたいと思います。 第42回 2011年2月10日 2011年の大きな目標 2011年も早いもので、すでに2月・中旬に入りました。皆様、いかがお過ごしでしょうか。いまごろ紋別は厳冬なのでしょうね。ロスアンジェルスは、典型的な冬です。1月に沢山雨があったので、雨季とはいえこの2月は雨が少なく、青空が広がる毎日です。 私の毎日は、今年も音楽を中心に廻っています。いろいろな演奏家との共演、ソロ演奏に加え、今年一番の目標は、ヨハン・セバスチャン・バッハの大曲、「ゴールドベルグ変奏曲」を勉強、練習、演奏する事です。この曲は、ピアニストにとって大変特別なもので、生涯で一度は是非演奏したい、しかし全曲通して弾くと70-80分かかり、おいそれとは手を出せない、といったものです。今年は、バッハ音楽祭からお声をかけて頂き、夢の大曲を演奏する機会を頂きました。10月の演奏会まで、少しずつ勉強し、暗譜を完成させ、臨みたいと考えています。もちろん音楽的にも最高度に素晴らしく、いくら練習しても毎日新しい発見があります。これは余談ですが、通常のコンサートは、様々な曲と休憩を入れて約一時間半くらいで、そういうコンサートはもう沢山演奏させて頂いていますが、一曲でそれに近い長さを休みなく暗譜で演奏するという経験はなく、今からどういう事になるやらーー、と心配がない訳ではありません。しかし、この心配、不安、緊張も、すべて練習で補う他なく、スポーツ選手同様、「毎日の稽古に励むのみ!」という事ですね。 私のアメリカ暮らしも20年を迎え、谷あり山あり、又谷ありで、何とか乗り切って来たような気がします。アメリカ人の夫の家族との関係にしても、現在は実家より距離が近く、困った事を相談したり、会う機会も多いのですが、最初は全く感覚が分からず、意味のない事で悩んだりしました。今でこそ、アメリカの社会で仕事をし、生活をし、友人達と趣味を共有したりしていますが、ここまで来るには、結構長い道のりでした。日本に簡単に帰れないような状況にあった事が幸いし、逃げる事も出来ず、前進のみ!でしたがーー。しかし、いつも「音楽」という目標、「ピアノ」という大親友が傍にあって、最低の状況でも、それをバネにどん底から這い上がって来たような気がします。自分の好きなもの、そしてそれに人生をかける事が出来ている事は、とても幸せな事なんだと、実感します。結婚生活においても、16年経た現在でさえ「私何でここにいるんだろう??--」といった違和感に、突然押しつぶされそうになる事もありますよ!何年経っても、日本人であることには変わりなく、これから先も日本人です。 今年も、演奏をする度、人の心に届く、真実の音楽を演奏したいと、心より願って精進しています。自分に嘘をつけば、それは音楽にも出ますからね。今年も、ロスアンジェルスから、皆様にお便りを差し上げたいと思ってます。どうぞよろしくお願い致します。それでは、次回のお便りまで、どうぞお元気でお過ごし下さいませ。

2010 Newspaper Essays December 31, 2010

第41回 2010年12月15日 中南米コンサートツアーのご報告の最後、メキシコから。 前回のご報告からすっかり時間が経ってしまいましたが。、今回で中南米編も最終回です。メキシコでは、メキシコシテイ(メキシコの首 都)とプエブラ市で2回の公演を行いました。私の住んでいるカリフォルニア州は、サンデイエゴ市でメキシコのテイフアナ市と国境が接しているので、メキシ コというとお隣という感じですが、メキシコシテイはずっと南に位置していて、ちょっと車でドライブなどという、距離ではありません!まさに、異国です!メ キシコには、エルサルバドルから入りました。 メキシコシテイは標高2000メートルくらいの高地にあるので、ちょっと頑張って歩くと息切れするとか、沸騰温度が違うとか、朝晩の温度の差が激し いとか、来る前には分からなかった事がいろいろでした。コンサートは2回とも国際交流基金メキシコ事務所の主催で、それぞれ大学内の講堂で行われました。 特にプエブラ市(メキシコシテイから車で2時間くらい)でのお客様が良かった!熱狂的で、コンサートが終わった後も、素敵なお言葉を沢山頂きました。こう いった皆様のお言葉が、私のこれからの励みになり、エネルギーになるんですね!こうして遠くの国々に来て、ピアノを弾き、皆様に喜こんでもらえるというの は、まさに演奏家冥利に尽きます。まさに体一つ、手2本で(!)、いろいろな国の人々と音楽を介して通じ合えるというのは、本当に有難い事で、やりがいが あります。今回選んだ演奏会のテーマ「アジアと西洋を音楽で繋ぐ」というのは、今後も自分の人生の中で、続けていきたいテーマです。コンサートの中でのお 話も、何とかスペイン語でクリア!やはりそのお国の言葉で、聴衆の方々に語りかければ、一段と距離が近づくと思います。そして、今回はそれぞれのお国の誰 でもが知っている曲をちょっとアレンジしてアンコールに選び(日本で言えば、小学唱歌の“赤とんぼ”とか“浜辺の唄”)、とても喜んで頂きました。 メキシコではちょっと空いた時間で、多少観光もしましたよ。長年の憧れであるフリダ・カーロ(有名なメキシコの女流画家)の家を訪れる事が出来たの は、本当に嬉しかったです!本や映画などで、慣れ親しんで来た彼女の作品をこの目で見る事が出来、感動に続く感動!そして、彼女がご主人(有名な芸術家) と一緒に住んだこの家は、そのものが芸術品です。カサ・アズール(水色の家)と呼ばれ、この中を歩く事が出来たのは、私にとって、とてもとても貴重な時間 になりました。彼女は生涯病気と闘い、そのかなりの部分をベッドの中で過ごしました。その苦しみ、あがきが彼女の芸術の中で多く見られますが、彼女のベッ ドを見ることが出来て、私はしばし時間が過ぎるのも忘れてしまいました。それは、美しい庭が一望に見渡せる場所にあって、扉を開けると寝ながらにして外の 空気に触れるように出来ていました。 帰国前日に半日時間があいたので、メキシコシテイ内のチャパルテペック城と近代美術館を訪れました。ホテルから歩いていけるなあと、簡略な地図を見 て行ったのですが、これが結構な距離で、まさに「標高の高さ」が私に反撃!ちょっと疲れてしまいましたねーー。帰りは何だかおまけに道に迷い、警察の人に 道を尋ねたところ、一人歩きは危険だからと、警察の車でホテルまで送ってもらうという、計算外のおまけまでついて来ました!近代美術館は美しい建物で、館 内を廻りながら静かな時間を過ごし、その後お城へ。これは、同じ公園内にありましたが、ちょっと高台に立っていて、そこまで登るのが、一苦労。まさに標高 との戦いでした!しかし、これは行く価値大有り。スペイン統治時代のもので、歴史を感じさせるだけでなく、とても美しい建物で、居るだけで素敵でした。あ ちこちに散りばめられた芸術品や当時の生活をしのばせる部屋を見て、楽しい時間を過ごせました。この後、ホテルへの帰途で、「迷った」という訳です。基本 的なスペイン語を駆使し、何とかなったのですが、後から考えてみると、かなり危険地域に入っていた感じなのです。 とにかく、病気にもならず、天候にも恵まれ(私がいる間、中南米では大雨が降ったりで、大変だったのですが、幸運な事に飛行機の遅れもなく、どのコ ンサートに雨の被害もなく、本当に感謝です!)、今回も有意義な公演旅行が、沢山の方々のお力で、出来ました。紋別は冬景色一色でしょうか。どうぞお体お 大事に、年の暮れをお過ごし下さいませ。 第40回 2010年10月18日 エルサルバドルより寄稿 先日お知らせしたキューバでの公演の次は、エルサルバドルでの演奏会へ。何故か乗り継ぎが悪く、コスタリカのサンフォセ市経由で、行きました。この国も、 始めての訪問です。キューバは暑くて、まさにカリブ海の美しい島、という感じだったのですが、こちらでは、しとしと雨が私を迎えてくれました。空港から 30分くらい離れた首都のサンサルバドル市は、少し高地にあり、ちょっと肌寒くもありました。 エルサルバドルは、中南米の他の国々同様、長くスペインの統治下にあり、1823年に独立。その後の60年間は、国内の権力争いに明け暮れ、又、隣 国のグアテマラとホンジュラスとの領土紛争もありで、混乱を極めていたようです。その後、ヨーロッパにおける珈琲の需要が伸び、輸出産業が展開。それに 伴って資本家階級が誕生し(「珈琲14家族」と呼ばれ、現在もこの末裔が国の重要な部分をになっているらしいです!)、彼らが政治・経済両面で支配するよ うになりました。その後、悲惨な生活をしいられていた農民・労働者の不満がたまり共産党の誕生、クーデター後の軍事政権など、第二次世界大戦をはさんで も、不安定な政情が続いていたようです。いろいろな支配政党が次々にあらわれ、1984年の選挙で中道左翼政権が始まりましたが、国民の期待に応えられず 内戦が悪化し、5年で敗退。1989年に行われた選挙では保守系が圧勝し、その後国連事務局長の支援や、アメリカの後押しもあり、ついに1991年にメキ シコにおいて和平合意文書に調印、長い間の内戦に別れを告げました。そして内戦による国の疲弊に手を打つべき新政党(ARENA)が、国の再開発に乗り出 しました。そして、2009年に15年ぶりに選挙が行われ、再び左派政権が勝利。現在は、50歳のフネス大統領の元、国政の見直しを図っています。特に、 文化面での教育が疎かになっていたので、その面において、何とか早く青少年にきちんとした文化教育をしたいと考えているようですーー。 こういった背景もあり、私のコンサートは、エルサルバドルの文化庁の期待が高かったのです。もちろん日本とエルサルバドルの友好、そして日本の音楽 紹介が今事業の大きな目的ですが、国民に音楽の素晴らしさを通して感動を与え、情操教育に目覚める。そういった部分も大きかったようです。という訳で、コ ンサート前日、在エルサルバドル日本大使館での晩餐会でエルサルバドルの文化庁の方達とお会い、いろいろなお話を聞かせて頂きました。将来に向けての音楽 教育、芸術振興などプランは沢山あるようでしたが、まだまだ実行に行くまでにいっていないというのが、実情のようです。コンサートは2回、首都のサンサル バドル市の国立劇場と、第2の都市サンタアナのこれも国立劇場で。どちらも、沢山のお客様に入って頂き、公演終了後も多くの方々から素晴らしいお言葉を頂 き、まさに演奏家冥利につきるエルサルバドルでの経験になりました。アンコールでは、日本の「さくらさくら」に続き、お国自慢の歌を2曲ピアノで弾き、会 場一杯、盛り上がりました! 次は中米の大国、メキシコでの経験をお話ししたいと思います。それでは、どうぞ皆様お元気で、お風邪など召されませんように。 第39回 2010年9月27日 始めてのキューバ訪問 私は現在、中南米のコンサートツアー(キューバ、エルサルバドル、メキシコの3国で、5回のコンサートと一回の公開レッスン)に来てい […]

2009 Newspaper Essays December 31, 2009

第31回 2009年11月28日 アメリカの感謝祭、そして暮れにかけて 11月の忙しさにかまけて、すっかりご無沙汰してしまいました。懸案のプロジェクトも一息。今週は感謝祭の週末で、少しゆっくり過ごし ています。こちらはすっかりホリデイーシーズン(感謝祭から、クリスマスを経て新年まで)一色で、お買い物商戦真っ只中です。景気の悪さは相変わらずで、 皆お財布の紐はとっても固く、バーゲン品を慎重に選んでいるようです。アメリカで一年で一番のお買い物の日というのが、感謝祭(11月最後の木曜日)の次 の日と言われていて、毎年特売目当てに、朝早く、もしくは前夜から、沢山の人が並びます。今年も、あちこちのショッピングセンターで、長蛇の列が報告され ていました。昨年は、ニューヨーク近郊の大型店舗ウオールマートで、開店と同時に余りの人が入り口に殺到し、警備に当たっていた方が亡くなるという、痛ま しい事故がありました。その時のニュースでは、その惨事を尻目に、ほとんどの人が、目的の品を目掛けて走ったという事で、人間の欲深さを如実に表しまし た。嘆かわしい事です。 今月は自分の演奏もそうですが、いろいろと興味深いコンサートがあり、弾く方、聴く方の両方で、音楽を満喫しています。今晩は、若手のチェリストと の演奏会があり、リハーサルも上手くいっているので、演奏するのがいまから楽しみです。又、今月はその他にも、ベーストロンボーン奏者、トランペット奏 者、そして主人のチェロとの2重奏もありました。それぞれの楽器に特色があり、自分の息を使って演奏するもの(トランペット、トロンボーンなどの金管楽器 と、フルート、クラリネットなどの木管楽器)、弓を使って演奏するもの(バイオリン、ビオラなどの弦楽器)、そして打楽器(マリンバ、テインパニーなど) 等、それぞれに一緒に演奏する喜びがあります。今週から、来月行われる、一人の作曲家を取り上げた演奏会出演のため、ピアノ3重奏(バイオリン、チェロ、 ピアノの組み合わせ)と、バイオリンとの2重奏のリハーサルに入っています。この作曲家は、エイドリアン・アルバートと言って、ロスアンジェルス在住で、 このごろ引っ張りだこです!話し易いし、一緒に仕事をしても楽しいし、彼女の曲を演奏させてもらうのはとても嬉しいです。今回の曲も、とても美しく、かつ ダイナミックで、聞いていても弾いていても、すんなりと入ってくる、自然体の音楽です。前回は、彼女に委託された、トロンボーンとピアノのための曲を演奏 しました。 大学は、今学期の詰めに入っていて、教えている生徒の演奏会や、ピアノの試験が、12月初旬にかけてあります。今学期は16人のピアノの生徒ととも に、音楽をやっています!写真は我が家の庭のバラ達。ほとんど一年中花を咲かせ、私達の目を、そして鼻も(!)楽しませてくれます。それでは、どうぞ皆様 お元気で、冬の寒さの中お身体ご慈愛下さいませ。 第30回 2009年10月13日 日本公演を終えて 先月2週間の日本公演を終えて、無事帰宅。2週間臨時の先生にお任せしておいた大学でのレッスンやロスアンジェルスでの演奏の仕事な ど、帰る間もなく、忙しい日常です。今回の日本滞在はお天気にも恵まれ、又沢山の方々のご尽力・ご協力で、5公演を無事に終了する事が出来ました。日本は 秋の兆しが感じられ、とても良かったです!季節感の乏しいカリフォルニアから行くと、季節感というのはまさに大ご馳走です。それぞれの演奏会では、有難い 事に皆様に喜んで頂けて、演奏を通じてお客様と素晴らしい時間を共有出来たのは、大変幸せでした。又、食べるものはどれも美味しく、久しぶりに会う友人達 との会話ももう笑いの渦、大好きな大相撲には2日行けましたし、来年取り壊しになる歌舞伎座にも足を運ぶ事が出来、毎日忙しくも、とても充実したツアーに なりました。やはり、私、日本大好きです!もちろん、現在本拠地を置いているアメリカのロスアンジェルスも大好きですけれどーー。 今回の日本公演は、アメリカ連邦政府からの基金で行われた部分もあり、4公演でアメリカ音楽の演奏・紹介を行いました。アメリカに長く住む私として は、日本の皆様にアメリカ音楽の素晴らしさを分かって頂くというのは、とても素晴らしい機会です。今回も作曲家やその作品、又コロンバスのアメリカ発見か らどのようにアメリカの音楽が作られていったのかなど、いろいろな角度からプログラムを組んで、演奏・お話しを致しました。限られた演奏会という時間の中 でしたが、皆様に楽しんで頂け、今後もアメリカ音楽に興味を持って頂けるというのは、嬉しいことです。アメリカ音楽には、ヨーロッパから移住して来た人達 が一緒に持ち込んだ音楽と、アメリカ生まれの独自の音楽があり、もちろんそのミックスもある訳で、もうそれはいろいろなタイプの音楽があります。ジャズ、 ブルース、ラグタイム、カントリーウエスタン、ブロードウエイのミュージカルなど、日常的に意識はしていなくても、アメリカ生まれの音楽は、日本の皆様に もとても身近なもので、いざ演奏してみると、あっそうか!と、納得されるお客様も多かったです。 ロスアンジェルスは今日、夏以来始めてのの雨が降っています。9月始めに山火事で燃えたところの土砂崩れが懸念され、土嚢などで大急処置がなされ て、大雨に備えています。大地には恵みの雨でも、それで又災害が起きる場合もあり、一長一短。これ以上、自然災害が広がらない事を願って、今回のお便り、 締めくくりたいと思います。紋別はきっと冬支度が始まっているのでしょうね。皆様、どうぞお元気で。お風邪など召しませんように。 第29回 2009年9月9日 山火事の怖さ 前回のお便りを書いてから余り時が経っていませんが、9月は日本への演奏旅行がありご無沙汰してしまうので、少し早めのご挨拶です。9月の声を聞き、紋別はそろそろ秋を感じ始めるころでしょうか。 先週はロスアンジェルス郡で、歴史上始まって以来の大変な山火事がありました。現在も、まだ燃え続けているのですが、住宅街からは離れ、山の奥での 消火活動です。今年で10年目を迎える私のロスアンジェルスの暮らしですが、山火事における始めての緊急避難退去があり、普段はおおぼけの私ですが、流石 に緊張しました。数日前から近場の山が燃え始め、住宅街に近づいていたものの、まだまだ、と思っていたら、いきなり警察官が我が家のドアを叩いて、退去命 令です。そして、外に出てみたら、驚いたのなんの!すぐ近くの山がぼうぼう燃えていて、ものすごい炎と煙です。そして、ご近所の人達が車に物を積んで、非 難の用意をしているのを見て、二度びっくりです。人間慌てるととんでもない事をするぞーーと、自分を戒めながらも、大慌てで、冷や汗はかくし、気持ちが焦 るばかりでした。でも、何とか大事なものだけ車に積み込み、取り敢えず様子を見る事にしました。友人の中には、庭のすぐそこまで火が来て、とにかく水撒き ホースで応戦した人もいました。山火事の多いところなので、消防隊の方達がとてもよく訓練されていて、素晴らしい働きをして下さり、我が家を含む多くの住 宅を守って下さいました。本当に脱帽です。 私の住んでいるロスアンジェルスという街は、もちろん大都会ですが、自然と隣り合わせという素晴らしい特徴があり、その点でも多くの人を惹きつけて います。街の西側は太平洋に面し、北から東方面にかけては、美しい山が連なっています。こうした山々に近い事もあって、人々はよくハイキングやマウンテン バイク乗り(山登り用の自転車)に出掛け、心よりこうした自然を愛しています。今回は、この一番近場の山(エンジェルス国立森林地帯)が山火事になり、現 在まで76軒の家屋が燃え、消火活動中の消防士2名が殉職なさいました。昨日まで、154エーカー(約62、6472平方メートル)の地域が燃え、消火に かかった費用が約47億円と言われています。こうした山火事の消火は、一般の消防自動車だけでなく、消火の出来る機能を搭載したヘリコプターや747など […]

2008 Newspaper Essays December 31, 2008

第22回 2008年11月24日 ロスアンジェルスの雨? 今年も早いもので、もう一ヶ月ちょっとですね。ロスアンジェルスはようやく山火事のシーズンも終わり、今週は雨が降ると大(!)予報さ れています。日本のように四季がはっきりしていて、晴れの日もあれば、雨が降ったり、雪が降ったりという気候と違い、ここロスアンジェルスでは「雨」は珍 しいのです。一年に雨の降る日が20日強ですから、ここで生まれ育った人達は、ちょっとした雨でも大騒ぎ。雷でもあろうものなら、大変な事です!雨が当た り前の地域でも、雨の日には事故が増えて渋滞になるのですから、ロスアンジェルスの雨の日の外出には、かなりのゆとりが必要になります。 今回の山火事の一箇所は、ここ数年の中で我が家に一番近いところが燃えました(約5-6キロの距離)。煙もすごかったですが、夜半に見える炎ももの すごかったです。現在の家は山の中腹に建っているのですが、それでも住宅地なので、もうちょっと山奥に住んで、自然の中での暮らしをしてみたいとずっと 思って来ました。しかし山火事の怖さを近距離で感じると、山暮らしの長所、短所を思ってしまいます。ロスアンジェルスは海も近いですから、場所によって は、山の上から海も見え、かつ町の中心まで20-30分くらいで行け、プライバシーもあるという素晴らしいところもあるのですがーーー。この山火事で、大 変残念な事に700-800軒の家が灰となり、多くの家が半焼しました。 アメリカは今週が感謝祭で、七面鳥の災難(!)時です。子供達が家に戻り、何世代にも渡っての大家族でお祝いする事が多く、一匹を一家で料理しま す。これがとても時間がかかり、オーブンの中で半日以上料理しないと中まできちんと焼けません。この七面鳥にクランベリーソース、パンプキンパイ、コーン ブレッドなど、昔からのアイテムが勢ぞろいして、一家の食卓を飾ります。西洋式ですと、各々のお皿に盛られるのでなく、其々の料理が廻って来て、自分の好 きな分を人数などを考えながら、自分のお皿に取り入れます。こうして子供達も、自分勝手に取るのではなく、廻りを見ながら料を加減する了見を磨きます。 又、多くの場合、子供達は、「子供テーブル」に子供だけで坐り、大きい子達が小さい子供達の面倒を見ながら、大人の会話を邪魔しないように、躾けられま す。 この感謝祭が終わると、夜半は4-5度まで気温が下がり、ようやく本当の秋がやってくる感じです。ちょっと肌寒くなると、ロスアンジェルスの住民で 着る機会の少ない毛皮のコートの持ち主は、ここぞとばかりちょっと汗ばみながら着ていますよ!忙しくなる年末、どうぞ皆様お体ご自愛下さいね。来月今年最 後のお便りを書き、2008年も終了ですね。 第21回 2008年10月27日 南米コンサート旅行・第2話 前回のお便りは私の南米公演旅行の途中で終わっていましたね。あの後コスタリカを経て、現在ロスアンジェルスに戻り、こちらでの秋のコンサートシーズンを忙しくこなしています。 コスタリカというと、緑が美しく、珍しい鳥がいて、中米の楽園のようなイメージがありませんか。もちろん観光地として、整備されているところは、海 岸沿いも山も美しいのですが、都市部は大変なものがあるようです。例えば、あの国はこの21世紀に、「住所」というものがないのです。ですから郵便という ものが、ほとんど機能していません。考えても見てください、郵便を出すときの宛名に、「○○教会から南に30メートル行って、酒屋の角をまがって20軒目 の黄色い屋根の家」という風に書く訳ですから、その酒屋がなくなっていたり、すべて主観的な判断なので、かなりの頻度で郵便は届かないのも当たり前です ね。又、浄化設備がほとんどなく(多分高級リゾート地はあるのだと思いますが)、そういった面での衛生さに疑問が残ります。又、ゴミ問題も滅茶苦茶で、自 分の家が綺麗ならそれがすべてという風で、大量のゴミが道路に放置されたままです。何だか悪口オンパレードになってしまいましたね。でもちょっと郊外に出 ると、緑の美しさが目に入って来て、ほっとしたのを覚えています。 コスタリカでの私のコンサートの目的は、日本大使館が年に一度開催する「日本週間」のオープニングコンサートと、それに続く現地の国立大学でのコン サートと公開レッスンでした。日本週間のオープニングコンサートは、最初に紋別で演奏させて頂いたような、日本の音楽ばかりのプログラムでした。演奏後 も、ちょっとしたパーテイーが会場ロビーであり、沢山の方に熱心な質問攻めに合いました!国立大学での公開レッスンは、生徒さん達のレベルも高く、特に若 い層に将来性を感じる子供達がいました。コスタリカが最後の訪問国だった事もあり、すべての仕事の後に一日自由日を設けていたので、コーヒー農園見学に。 ここは、上記で述べた“整備された観光地”で、すべてが綺麗に完備され、優秀なスタッフに支えられ、まさに別世界!でした。 といったように私の3週間強の旅も終わり、現在はロスアンジェルスでの暮らしに戻っています。大学は学期半ばで、私のピアノの生徒達も調子に乗って 来たところです。12月始めに演奏の試験があり、12月も半ばにはいると冬休みで、春の学期が来年1月後半に始まります。ロスアンジェルスでの演奏会も結 構あり、こちらは、南米公演とは異なり、毎週のようにいろいろなアンサンブルで演奏しています。先週はフルートとの2重奏、歌の伴奏と2回のコンサート、 今日はトロンボーン奏者との2重奏のコンサートです。それでは、そろそろその演奏会に向けて準備しなければ!皆様もどうぞお元気で。又、次回のお便りでお 会いしましょう。 第20回 2008年9月28日 南米コンサート旅行・第1話 ついに私からのお便りも20回を迎えました。今回は記念回に相応しい文章になりそうです。と申しますのも、現在私は中南米コンサートツ アー(5カ国、7都市、9公演)の真っ最中だからです。もしお手元に世界地図があればそれをご覧になって、私の辿ってきた道のりをご一緒に歩いてみません か。 私の旅はまずロスアンジェルスの我が家を出発、アメリカの南端のフロリダ州にありますマイアミ市経由で、ブラジルのサンパウロ市に到着。ここで第一 回目のコンサートを始めました。北米から南米への旅はほぼ直線で南下するので、時差がない分身体には楽ですが、やはり相当長い距離ですので、ここの道程だ けで、約一日かかりました!サンパウロは日本でも良く知られている、日本からの移民の大変多い場所で、お客様も日系の方が大勢いらっしゃいました。それか ら、ブラジルのリオデジャネイロ市へ移動。ここは、コパカバーナなどのビーチで有名な、風光明媚な美しい街です。海岸が特に美しく、歴史もあり、街に活気 があふれています。ここでは、サオベント教会という大変歴史のある、金の装飾が美しいコンサート会場でした。とても落ち着いていて、演奏している私自身も 心が洗われて行くようでした。ピアノの音が教会の中に響き、とても良いコンサートになりました。リオでは、音楽院で公開レッスンも行い、学生達と楽しい時 が持てました。次の移動先は、ブラジルの首都ブラジリア市です。ここは、50年くらい前に、全く何もなかったところに、新しい首都を築くという事で設計さ れた未来都市で、町が飛行機の機体に模して作られています。ですから、皆さん、「私のオフィスは飛行機の左尾翼の辺りです」とか、「コンサート会場はパイ ロットのいるコックピットの辺りです」などと表現して、大変面白いのです。 ブラジルの3公演のあとは、首都ブラジリアからサンパウロ市に戻り、ウルグアイのシ首都モンテビデオ市へ移動。ここでは、2公演あり、一つ目の会場 […]

2007 Newspaper Essays December 31, 2007

第14回 2007年12月21日 ホリデー・シーズン 今年もお付き合い頂きましたロスアンジェルス便りも、今回が本年最後のお便りになります。世界のいろいろなところで、自然災害、人的災 害の多い年でしたが、ここロスアンジェルス、本日は快晴、カリフォルニアの青空が広がっています。ここ数日雨模様の肌寒い日が続いていましたので、嬉しい 太陽です。やはり、お日様がさんさんと降ると、それだけで心がウキウキ、何か楽しくなってしまいますね! 先日もお知らせしましたように、アメリカは11月末の感謝祭りから、クリスマスを経て、ニューイヤーまでの一ヵ月半くらい、ホリディーシーズンのた め、皆浮かれ気分です。友人仲間で、又、会社や仕事仲間でのパーテイーや夕食会も増えますので、飲んだり、食べたりする機会が増えますし、又、クリスマス の贈り物で、友人、家族、そして困っている人達に喜んでもらおうと、お買い物にも大忙しです。これは、日本の忘年会やお歳暮の習慣に似ていますね。ただし 日本と大きく違うのは、クリスマスはあくまでも宗教行事だ、という事です。普段教会から足が遠ざかっている人達も、クリスマスイブには、家族で足を運び、 聖夜を静かに、厳かに過ごします。そして、クリスマス当日は、家族で集まって、お祈りとともに食事を一緒にします。私もクリスチャンですから、やはりクリ スマス前後は、特別な気分で教会に行きます。そしてこの時期大事な事は、人々に、そして社会に貢献するという姿勢です。沢山の非営利団体が寄付をつのりま すし、それぞれの教会で困っている人達、ホームレス、エイズ患者、薬物中毒者、アルコール中毒、貧困層、などを助けるため、いろいろな活動をします。日本 も貧富の差が広がって来ていると聞きますが、アメリカの比ではないのではないでしょうか。アメリカの場合、人種問題、移民問題などにも、波及し、それはそ れは大きな社会問題です。大変な暮らしをしている人達でも、せめて感謝祭やクリスマスぐらいはほっと一息つけるように、という願いで、プレゼントを贈った り、食事を配布したりします。 私は本年の大学での仕事も終わり、又最後のコンサートも終わり、こちらも一息ついているところです。しかし、我々のような仕事の場合、終わりがな く、家にいるからといって、のんびり放題という訳にはいかないですね!しかし忙しく出来るというのは、皆様から望まれている事なので、幸せな事と思って、 がんばっています。もちろん、野暮用も山ほどありますけれどーー。私達夫婦は、クリスマス前後には、主人の実家、インデアナ州に行き、彼の家族(両親、お 兄さん二人と妹、それにそれぞれの連れ合いと子供たち)とともに、賑やかに過ごします。何か特別な事をする訳ではありませんが、家族とおしゃべりしたり、 ご飯食べたりゲームしたり、普通の事が出来るのが、一番ですね。 本年も私のおしゃべりにお付き合い下さり、ありがとうございました。来年もロスアンジェルスから、そして旅先から、いろいろご報告させて頂きたいと思いますので、どうぞよろしくお願いします。それでは、良いお年を! 第13回 2007年11月17日 ロスアンジェルスのリサイクル運動 早いもので、今年もあと一ヶ月ちょっとですね。ロスアンジェルスの大災害になった山火事も鎮火、沢山の方が家を失い、その方達にとって は、大変辛い年末です。山火事の原因の中には、放火もあり、憎んでも憎みきれません。又、小さい子供が何故か、暴風の中マッチ遊びをしていて、そこから大 きな火事に広がったものもあります。自然発火の山火事は、自然のサイクルで(山の活性化)ずっと続いて来たものですが、前回も書きましたように、近年人々 が景色の良さ、プライベートな環境が持てるなどの理由から、どんどん自然の中に家を建てるようになり、我々の生活に大きく影響するようになったのです。 地球温暖化という事が注目され始めて大分たちますが、紋別の気候はどの様に影響を受けていますか。東京では11月半ばでも汗ばむ陽気だとかーーー。 不思議な事に、ここアメリカではそれほど顕著に影響が出ている訳ではなく、日本ほど大騒ぎではありません。しかし、リサイクルや環境問題の先端を行ってい るカリフォルニアでは、いろいろな動きがあります。リサイクルに関しては、ペットボトルから、ビール瓶、缶、すべてのボトル入りの飲み物に関しては、買う 時にをの入れ物代を払うので(小さいもので1本5セント、約7-8円、大きいサイズでその倍)、飲んだ後にためておいて、皆リサイクル場に行き、換金しま す。2人暮らしの我が家で、一ヶ月半で1200円くらいになります。この制度のお陰で、ペットボトル、缶、ビンなどの回収率が非常に高くなりました。換金 する事は出来ませんが、週一回のごみの収集では(一軒あたり、それぞれ大きな車輪付きのゴミ入れが3種類配られ、一つが生ゴミと一般ゴミ、一つが庭から出 る木や草、もう一つがリサイクル用です。)、様々なものがリサイクルされます。例えば、リサイクルのゴミ箱には、スーパーのプラスチックのゴミ袋から、缶 づめ、新聞、封筒や広告などほとんどの紙類、クリーニング屋さんから来るハンガー、ヨーグルトやマーガリンなどのプラステック容器、ダンボール、などもう 沢山ありすぎて書ききれないくらいの生活から出るゴミを入れ、それがリサイクルに行きます。又、庭を手入れして出る、木の枝、芝の刈ったものなどは、別の 庭専用ゴミ箱に入れ、これもリサイクルに行きます。リサイクルするものの範囲がどんどん広がり、一般ゴミとして出すものは、年々減っているのを実感しま す。 来週は感謝祭の週で、アメリカではとても大事な家族行事の一つです。そしてこれが終わると、皆クリスマス、ニューイヤー(新年)まで、ホリデー(祝 日)気分で、年を越します。クリスマスは、家族、友人、同僚、新聞配達の人や郵便屋さんなどに、ちょっと気の効いたプレゼントをする季節なので、これから が、デパートなどの商戦真っ盛りです。私もそろそろお買い物リストを作って、町にショッピングに繰り出さなければーー!それでは、これから寒くなるでしょ うから、皆様どうぞお体に気をつけて下さいね。それでは、次の今年最後のお便りまで! 第12回 2007年10月21日 秋らしくない、ロスアンジェルス 紋別の秋はいかがですか。こちらも寒くなったり、又暑い日がちょこっと来たり ですが、次第に秋らしくなって来ました。ロスアンジェルスで紅葉?と驚かれる方もいらっしゃるかもしれませんが、きちんとあるんですよ。特に私が住んでい る山側は、寒暖の差があるので、結構美しい紅葉が楽しめます。しかし、日本でも報道されているかもしれませんが、ここ数日は非常に強く乾いた風が吹き荒 れ、南カリフォルニアのあちこちで、山火事が起こり、それどころではありません。500軒以上の家屋が燃え、沢山の建物が大きな被害を受けています。以前 にもお知らせしたと思いますが、この乾燥した強風を、「サンタアナ」と呼び、これが吹くと必ずと言っても良いくらい、山火事が起こります。雨季に生えた下 草が、乾季(夏の数ヶ月はほとんど雨が降らない)を経てカラカラになり、これにちょっとした事で火がつき、強風と共に、火事があっという間に広まる訳で す。空気中の湿度が、ここ数日は10%を切る事もあり、目や鼻が痛くなります。この山火事は自然のサイクルでもあるのですが、近年沢山の家が山間部にも建 ち、これらの家が大きな被害を受けるようになったのです。 閑話休題!ハリウッドの俳優達、歌手達のお騒がせ記事は日本にも伝えられている事と思いますが、特に目を引くのは飲酒運転でしょうね。アメリカの飲 酒運転の基準は日本と少し違い、多少は飲んでも良い事になっています。この車社会で、どこに行くにも車なしでは行けず、又東洋人のようにアルコールに体質 が弱くないので、すぐに酔っ払って顔が真っ赤!という事にはなりません。でも、もちろん基準値を超えての飲酒は固く禁じられていて、常習になると禁固刑と […]

2006 Newspaper Essays December 31, 2006

第8回 2006年7月30日 ロスアンジェルスの、爽やかな風 皆様お元気ですか。これが皆様のもとに届きますころは、もう8月。紋別の夏はきっと素晴らしいのでしょうね。 私の住んでいるロスアンジェルスは、一年を通して空気が乾燥していて、暑くなっても過ごしやすいのが常なのですが、ここのところ例年にない湿気に、 町がじめじめしています。といっても、湿度60-70%くらいでしょうか。又、少し前には大変な猛暑も襲い、ひどいところでは華氏119度、摂氏48度強 という大変な記録を残しました。我々が住んでいるあたりでも、40度くらいになっていました。沢山の方がクーラーを持っていないので、そういう方達は空調 の効いている公共の場所などに非難。持っている方でも、大変な暑さにはクーラーが力負けで、ふらふらでした。しかしこういった暑さも一段落。ちょっと湿気 はあるものの、自然の風で暮らせるようになりました。 7月には日本の私の両親が遊びに来ていて、いろいろな所にガイド兼運転手で行きました。その中で一番の圧巻は、セコイア国立公園でしょうか。ロスア ンジェルスから北に車で5時間くらいの所にあり、素晴らしい山々の中にある公園です。ここはセコイアという木が沢山生えているわけなのですが、その木とい うのが世界一の高さ、重さ、年齢で、一番のお年寄り達は2500年を越していると言われています。そういう大木が、行けども行けども頭の上にそびえている というのは、本当にすごいですよ。セコイアの木の持つ大変な生命力、病気に打ち勝つ構造などで、こういう長寿が生まれるようです。アメリカの国立公園とい うのは、本当に中に入ってしまうとお店など何もなく、自分達で飲み物から簡単な食べ物、キャンプをする人たちは何から何まで持参です。我々は公園内にある ホテルに泊まったので、クーラーボックスに飲み物と軽食を用意して行っただけでしたが。それでも日本から来ている私の両親には、最初に言っている意味が分 からず、何でこんなに用意していくのかと、疑問だらけのようでした。それもそうですね。日本の観光地といったら、町がそこにあるようなもので、何かが見つ からないという事はないですものね。アメリカでは、セコイア煎餅もセコイアクッキーもありませんよ! もう一箇所両親を連れて行ったところで思い出深いのが、ワイナリーです。ワインと言えば、フランスとかイタリアを思い浮かべらられる方も多いかと思 いますが、ここカリフォルニア州もその気候を生かし、ワイン造りは大変盛んです。私もロスアンジェルスに引っ越して来てから、ワインに興味を持ち、飲み比 べ会で勉強したり、本でいろいろ調べたりしています。が、何といっても美味しいお料理と一緒に飲むワイン、これは最高ですね!作る料理に合わせてワインの 種類を選ぶ、というのも、楽しみの一つです。値段通りに味もなるかというと、それが面白いところでそうでもないようです。自分の好きな葡萄の種類でワイン を選び、皆とおしゃべりしながら、料理を楽しむというのが、お薦めですよ! 私の秋の予定は10月の紋別訪問も入っていますが、その前の9月に2週間半の南米コンサートツアーがあります。夏は音楽家にとっては充電の時。9月 から始まる新しいコンサートシーズンに備え、新しい曲を練習したり、暗譜したりです。それでは、皆様も夏バテなどなさいませんように。又紙面でお会いしま しょう。 第7回 2006年5月16日 アメリカの大学生の夏休み しばらくご無沙汰していました。この春のコンサートシーズンはいつにも増して忙しく、あちらこちらと飛び回っておりました。 こちらの大学は5月初旬に一年が終わり、長い夏休みに入ります。2つ教えてるどちらの大学も最近前後して夏休みに入り、私も一息ついている所です。 新学年は8月の終わりに始まります。学生達は学期中勉強、試験などに大変忙しく、夏休みは息抜きと、それから長い休みを利用して、普段出来ない事に時間を 当てます。例えば、将来に備え、自分の就きたい職種の分野でのインターンシップやボランテイア、又は長期に海外に行って勉強など、皆意欲的です。やはり将 来に強い希望や夢を持っている学生ほど、夏休みの貴重な時間を無駄にせず、有効に活用しているようです。それから自活して大学に通っている学生達にとって は、働き貯めの時でもあり、一生懸命働いて、学期に備えてお金を蓄えています。こちらの学生はかなりの割合で学校からローンを借りて、学費に当て、卒業し てから少しずつ返しています。特に2つ行っているうちの一つ、州立大学はすべての人に門戸を開いているので、かなり年齢が上にいってから再度大学で学ぶ学 生や、いろいろな事情で大学を卒業出来なかった人々が学位を得る為に戻って来たりで、本当にいろいろな学生がいます。高校卒業したての学生から、定年後に いままで知らなかった分野の勉強をする生徒までいますので、まさに孫と祖父母の年の開きも生徒間では見られる訳ですね。 私事になりますが、この春のコンサートツアーではニューヨークにもまいりました。ロスアンジェルスがアメリカの西海岸の大きな都市であるのに対し、 ニューヨークはボストン、ワシントンDCなどと並んで、東海岸の主要都市の一つです。皆様も写真などでご覧になった事があると思いますが、まさに摩天楼。 マンハッタン島の中はビルの群れです。治安が大分良くなったとの事で、夜町を歩いても、平気です。ニューヨークはアメリカの数少ない都市の一つで、車を持 たなくても暮らせるところで、地下鉄、タクシー、バスなどが気軽に使え、どこにでも行けます。ただしマンハッタン島の中の住宅事情は本当に大変で、ものす ごい高家賃です。ですから、成功している人々に取ってこれほど素晴らしい町はないでしょうけれど、成功を夢見る若者や低所得者に取っては、生活の厳しい所 でもあります。しかし世界のニューヨーク。人々が世界各地から集まって来る、とても魅力的な都市である事には変わりません。 私のニューヨークでのコンサートプログラムは先年紋別でも演奏させて頂いた日本の音楽で、現地日本総領事館主催で行われました。一回目は、国連内に ある施設で、2回目はちょっと郊外にある大学内のホールで演奏しました。どちらも着て頂いたお客様に喜んで頂く事が出来、又演奏後の交流でいろいろな方と お話が出来、演奏した側に取っても有意義な時間を過ごす事が出来ました。海外で日本の音楽を演奏させて頂く度に、こんなに沢山の人々が日本に興味を持って いるのだと知る事は、本当に嬉しい事です。 ロスアンジェルスは今年は涼しい春で、最近ようやくカリフォルニアらしい太陽が戻って来ました。我が家も先週夏野菜を庭に植え、トマト、きゅうり、ピーマンなど、夏の間の収穫が楽しみです。それでは、又。次回のロスアンジェルス便りでお会いしましょう。

2005 Newspaper Essays December 31, 2005

第6回 2005年12月27日 ロスアンジェルスの、穏やかな年の初め 紋別が大吹雪の中、太平洋を越えたここロスアンジェルスでは、穏やかな日々を過ごしています。皆様新年明けましておめでとうございま す!アメリカの秋は行事続きで、大変忙しいんです!10月終わりのハロウイーン(子供たちが衣装を着て、近所を一軒一軒まわり、お菓子をもらうもの)、 11月終わりの感謝祭(昔ヨーロッパからアメリカに人々が移住して来た時に、先住民であるインデアン達と仲良くする為に始められたもの)、そして12月の クリスマスです。 ハロウイーンは今や大人達も仮装を楽しみ、その日はオフィスに仮装で行く人もいます。そして夜はその衣装のまま、パーティーです。ハリウッドの通り では、車を締め出し、一晩中お祭り騒ぎが続きます。しかしキャンデーに毒を入れたり、家に訪ねて来た人を泥棒と間違えて発砲するなど、毎年悲しい出来事も 起こるため、以前のように子供たちが自由に家々を訪ねるという事は減ったような気がします。それでも、奇想天外な衣装を考えて友達をあっと言わせるという アメリカ人特有のユーモア精神はたっぷり残っていますよ!友人の子供は駐車場になりたいと言ったので、子供が入れる大きさの箱を作り、駐車場らしく箱の上 にいろいろ乗せ、それを着てその子は一日大得意でした。ちなみに子供達はその衣装で、その日は学校に行きます。私の教えている大学でも、学生達、先生達が 個性的衣装でやって来ます。 11月最後の木曜日が感謝祭で、その週末は大半の仕事はお休みになり、家族で集まって、伝統的な感謝祭の夕食を頂きます。食事の内容は、七面鳥、パ ンプキンパイ、マッシュポテト、クランベリーソース等で、それにそれぞれの家族のお得意のものを加えて作ります。感じとしては、日本のおせち料理に例えら れるのではないでしょうか。基本のものに、我が家の自慢料理を加えて家族でお祝いをする訳ですから。そして感謝祭の週末はクリスマスショッピングでデパー トやお店が賑わう時でもあります。こちらのクリスマスシーズンは、12月2週目くらいから、知っている人に会ったり、又オフィスの仕事仲間等に、ちょっと 気の利いたプレゼントをあげます。そして頂いたプレゼントをクリスマスツリーの下に飾っておいて、クリスマスの25日の朝に、家族と一緒に開けて、楽しみ ます。もちろん家族には特別のプレゼントを用意して驚かせます。そしてその後クリスマスデイナーを楽しむという訳です。 24日のクリスマスイブは家族で教会に行き、イエスの誕生を静かに祝います。私の行っている教会でも、夜7時からの子供のいる家族向けの礼拝と、夜 11時からのキャンドル礼拝と2回行います。キャンドル礼拝は、ハンドベルの演奏やオルガン演奏に加え、聖書からの朗読、皆でクリスマスにちなんだ賛美歌 の斉唱、そして最後に一人一人がキャンドルを持ち、点火、教会の中を暗くして、美しいキャンドルの光の中静かに祈り、帰宅します。私にとっても、大変心の 満たされるひと時です。子供達は24日寝る前にクッキーとミルクをサンタさんが来る暖炉の近くに置き、サンタさんが来てくれた御礼にします。とても可愛い でしょ! クリスマスの後は大晦日のパーティー、新年、そして仕事初めは1月2日からです。私も感謝際の週末にクリスマスの飾りつけをやり、1月2日になって すべてを片付け、通常の生活に戻ります。今年は10月に紋別で再びピアノ演奏をさせて頂けるようで、皆様にお会い出来るのを楽しみにしています。紋別の方 々にとって2006年も素晴らしい年でありますように、太平洋の反対側からお祈りしています。本年もどうぞよろしくお願いします! 第5回 2005年10月4日 自然災害 今ごろ北海道は、美しく秋の色に染まっている事でしょうね。こちらカリフォルニアにも、秋という気配はあるのですが、四季のはっきりしていない気候なので、まどろっこしい季節の変わり目です。皆様お変わりありませんか。 9月は、アメリカの南部、ルイジアナ州、アラバマ州、ミシシッピー州、テキサス州が、2つのハリケーンによる大災害に見回われました。日本でもかな り大きく報道されたようですので、ご存知の方も大勢いらっしゃる事と思います。以前テキサス州のヒューストン市に10年住んでいたので、友人、知人が沢山 おり、その中にも被害に合われた方々がいらっしゃいます。大変な被害で、一体これからどれくらいの日程で町が回復していくのか、すべてがまだ霧の中です。 中越地震に合われた方々が、まだ多く仮設住宅に住んでいらっしゃる事を思い出させます。 そして先週は我が町ロスアンジェルスが、山火事に襲われました。これは毎年繰り返される、ある意味では自然のサイクルです。しかし、人々が景色の素 晴らしさや、自然の中に住む雄大さから、山の中に住むようになり、山裾にも家が建てられるようになると、その意味は変わってきます。特に今年は冬から春に かけ、例年になく雨がふり、その時に生えた大量の雑草が、夏の換気に枯れ、それに一気に火がついたという訳です。それでは「何故火がつくのかしら?」とい う御質問が聞こえてきそうですので、それにお答えしますね。ロスアンジェルスという町は海側と砂漠側があり、風が吹いて来る方向によって、その日の湿度や 温度が変わります。海風だと、ちょっと湿気を帯び、爽やかですが、砂漠の風は、時には突風になり、非常に乾燥した空気を町に持ち込みます。山火事は、この 砂漠からの突風(サンタアナと呼ばれています)が時折吹く、9月前後に発生します。我が家は山側に近く、今回も向かい側の山々に夜になると火の帯が見え、 非常に恐ろしい思いでした。又、火災の影響で、空気は汚染され、灰が大量に降るので、喘息や健康状態の良くない方々は、大変です。しかし今週は山火事騒動 も収まり、町も普段の顔を取り戻しています。そして、閉鎖されていた地域も解除され、人々が日常の暮らしに戻り始めています。 今回は音楽雑談なしになりましたが、きちんと演奏の方やっていますので、ご心配なく!又、大学もおさぼりもせず、学生達と楽しくやっていますので。それでは、又次回お会いしましょう。ごきげんよう! 第4回 2005年8月24日 ロスアンジェルスの街! 紋別市はいまごろ、秋の気配が町角に漂って来ているのではないでしょうか。こちらロスアンジェルスは、一年を通じて同じような気候で す。ロスアンジェルスのおもしろい所は、同じ町の中でも、非常に気候が違う事です。私の住んでいる山側の地域は砂漠に近い事もあり、一日の中での温度差が 激しく、15度くらい朝晩で違い、又一応四季の感覚があります。それと比べ、海側は一日の温度差もそう違わず、又一年を通じての温度差も余り有りません。 どちらにしても住み易い事には変わりなく、うっかりすると、感覚がなまけてしまいます! 私は現在夏のいろいろな旅が終わり、ロスアンジェルスに帰って来ています。そろそろ長い夏休みも終わり、大学が始まるので、新しい学期への準備に追 われています。私の教えている大学は、カリフォルニア州立大学と私立の名門、オクシデンタル大学です。それぞれに生徒の個性が違い、全く違った校風で、興 味深いですよ!日本の大学と違う点は沢山ありますが、その一つに、生徒が学期末に先生を評価するというシステムがある事です。授業の終わり30分くらい で、先生がいなくなり、それぞれのクラスの代表が評価表を配り、生徒一人一人が自分達の思った通りに先生を評価をするというものです。この評価表は授業の 終わりに集計(もちろん無記名で)、封印され、学校側に渡され、先生の評価に加算されます。結構シビアなものです!それが、学校側の評価を終え、我々に 帰って来て、生徒達の生の声を知る事が出来る訳です。こちらでは、生徒も学費を払っている以上、先生達にきちんとしてもらいたいという気持ちがあるので、 日本の大学で休講を喜ぶ気風とは、ちょっと違うかもしれませんね! […]