ゴールドベルグ変奏曲を日本で演奏  7/8/13

July 8, 2013

アメリカ各地で演奏してきたバッハの大曲「ゴールドベルグ変奏曲」を、この度日本で演奏することになりました。7月12日(金)午後2時から、場所は日本基督教団大館教会です。この曲には、思い入れが大きく、自分でもプログラムノートなど、書いて来ました。今回の演奏会プログラムに、始めて日本語で、自分なりの(分かりやすい)解説を書いてみました(下記参照)。一つ一つの変奏曲(30あるからね!)の特徴を出して、楽しんで演奏が出来ることを願っています。大館市は幼少時に数年間住んだことのある、言ってみれば、私の第二の故郷。ピアノのレッスンは地元の竹村先生につき、基本を学びました。深い結びつきのある地で、ゴールドベルグ変奏曲を演奏出来るのは、私の深い喜びです。日本へは明日出発!飛行機内や電車内で結構すとんと眠れる私の強みを生かし(!)、出来るだけ体と脳(1時間15分くらいを暗譜で弾き通すので、これは必須!)を休めて臨みたいです。それでは、日本のどこかでお会いしましょう!

曲目解説

上野淳子ギャレット

 

バッハは、沢山の宗教音楽、そして世俗音楽を世に残した、非常に偉大、かつ野心的な作曲家でした。鍵盤楽器のためには、まず始めに、3巻の楽曲集を出版し(楽曲集以外にも沢山の鍵盤楽器のための曲があります)、その中にパルテイータ、イタリア協奏曲、フランス序曲、オルガン曲等を入れました。そして、第4巻のために、すべての集大成ともいえるべき「ゴールドベルグ変奏曲」を作曲し、出版しました。バロック時代の当時、すでに沢山の作曲家がいろいろな変奏曲を書いていましたが、バッハは、ゴールドベルグ変奏曲を書く際に、一般の枠を超えた、とても特別なものを考えていました。そこで、イタリア風の旋律、カノン、シャコーン、フランス風序曲、舞曲、2重奏や3重奏など、様々な音楽様式を入れ、書き上げたのです。

 

ゴールドベルグ変奏曲は、始めに大変美しいアリアで始まり、その後様々な様式における30の変奏曲を演奏、一番最後に始めに演奏したアリアが出てきて、曲を終えます。この音楽の旅は、普通70分から80分くらいかかります。この大曲を弾ききる事は、ピアニストにとって大きな挑戦とも言えます。長い曲を暗譜で弾き終える集中力と持続力。難しいテクニックを極め、音楽的に掘り下げていく事。そして、忘れてならないのが、この曲が2段鍵盤を持ったチェンバロのために書かれたということです。というのも、ピアノは鍵盤が一段しかないので、2本の手が鍵盤上を交差する際に、こんがらかり、非常に複雑なことになってしまうのです。例えば、第5変奏曲では、一つの手が一箇所に留まり、もう一つの手が高い音程と低い音程を飛び越える、イタリア式の手法が取られています。フランス式の手法は、第8変奏曲で見られ、ここでは両方の手がお互いに飛び越える、まさにアクロバットが出てきます。

すべての面において、挑戦だらけ。それでは、何故演奏するのでしょうか・・・・それは、音楽の素晴らしさ・深さです。毎日ピアノの前に座り、ゴールドベルグ変奏曲を弾く喜び。フレーズの歌い方、音色の出し方、音楽的アイデアなど、日々何か新しい発見があります。まさに、登山のようなもの。困難を伴う山がそびえていれば、登山家なら命の危険をおかしても(!)、チャレンジしたいと思うでしょうから。

 

それぞれの変奏曲に、私自身の個人的な想い・イメージがあります。例えば、第3変奏曲は、貴族の男性がシルク・ハットをかぶってステッキを持って気取って歩いている様子、第7変奏曲では、クリスタルの小さなバレリーナが、オルゴールの中で踊っている様子、第9変奏曲では、春の美しい日差しの中、おばあさんが孫に本を読んで聞かせている風景、第17変奏曲は、無声映画の中の登場人物がセカセカ動いている映像、第22変奏曲では、遠くの地平線に太陽が昇ってくる様子、変奏曲24番は、少女が草原の中でスカートをなびかせながら踊っている景色、そして変奏曲27番では、雨上がりに残った水滴が、木から落ちてくる様などです。変奏曲16番のフランス風序曲では、ルイ16世が宮殿の中をお供を従え歩いている行列、そして同じ変奏曲の後半では、所変わって、お洒落した女性達が、扇を使いながら噂話に興じている様子。30ある変奏曲の中で、3曲が短調で書かれており、そのどれもが深い感性であふれているのですが、特に変奏曲25番では、キリストの受難の様が描かれているようで、私にはキリストの一歩一歩が半音階の中に聞こえてきます。最後の変奏曲30番で、バッハは大曲の締めくくりに、ユーモアあふれるクアドリベット(ラテン語で、“貴方が楽しめる事”)という形式を持ってきました。これこそ、バッハの骨頂だと思います。ドイツの民謡二つをからめて、30ある変奏曲の最後を飾っています。この良く知られたメロデイーをパロデイーにして、即興にして楽しむのは、バッハの家族が集まると、頻繁に行われていたことでした。

 

「ゴールドベルグ変奏曲」は、面白い逸話を持っています。ヨハン・フォーケルというバッハの学者が、1802年に出版したバッハの伝記の中に、出てくるものです。<ロシア大使のカイザーリンク伯爵は、頻繁にドイツのライプチッヒを訪れていました。沢山いる使用人の中に、大変優れたチェンバロ奏者、ヨハン・ゴールドベルグ(ヨハン・セバスチャン・バッハの弟子)がいました。伯爵は不眠症に悩み、夜な夜なゴールドベルグが呼ばれ、伯爵の隣の部屋から、チェンバロを弾いて眠れぬ夜にふさわしい音楽を演奏するように、頼まれていました。ある時、バッハが呼ばれ、この不眠の夜にふさわしい曲を作曲するように依頼され、熟考の末に、変奏曲を作曲する事に辿り着き、この「ゴールドベルグ変奏曲」が誕生したというものです。そして伯爵はこの変奏曲が大層気に入り、その功績に対して、バッハに多額の謝礼金を払ったと書かれています。>しかし、この曲が書かれたときに、チェンバロ奏者のゴールドベルグはたったの14歳。とてもこの難解な曲が弾きこなせたとは考えられず、この逸話は作り物だと、現在は考えられています。しかし、想像するのは自由。何と楽しい逸話ではありませんか!

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